天下に無双 (1986)

作・小島武夫+画・司敬 徳間書店・トクマ・コミックス101



小島武夫、人気です。「最初で最後の自叙伝」と謳った新刊『ろくでなし』も、麻雀関係の書籍としては好調な売れ行きのようです(1/2現在、Amazonの本ランキングで 4,467位)。

ろくでなし 伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年

ろくでなし 伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年

ただ、私より少し上の世代の人達のヒーローであって、イマイチ凄さが分からない、というのが正直なところです。麻雀プロの世界で重要な人であるにしては、斯界の発展に貢献したように見えないのですが、それは今回関係ないので措きます。


小島武夫の麻雀マンガ原作の一大特徴は

  • 本当に関わっているのか、あるいはどの程度関わっているのか不明

な点にあります。
多分これは、彼が超人気者であったことと関係しています。マンガ原作は彼にとってメインの仕事ではなかったようで、これは小島名義の戦術本の数や、同業である灘麻太郎のマンガ原作の数と比較すれば明らかです。また自伝や周囲の人間の評から窺える性格から推測すると、どこまで自分でやっているのかは疑問が残ります。
もちろん、出版する側の都合もあるでしょう。「小島武夫」のクレジットが有る無しが売れ行きを左右する、そんな時代だったと聞いています。ごく初期の名作「牌鬼師」(これで「ザ・パイオニア」と呼びます。ファンクです)にも、「配牌・小島武夫」という形で名を連ねていますが、どれくらい関わっていたのかは判然としません。


あらすじ

見返しには

青春という名の四角い卓に夢を賭ける男が一人!男は玄界灘の荒波に意地と情熱を叩きつける!!博多はホロ苦い哀歓を漂わす陽かげりの街だった―熱き闘牌に命を燃やす若者を描く珠玉巨編!!

と書いていますが、かなり嘘です。どちらかと言えば「東京で名を上げた小島武夫が、無名時代のドジな失敗を語る」というのが大筋。上の説明は、他の司敬の麻雀マンガ作品に当てはまる特徴と言えます。「やらずぶったくり」「勝負師遍路」「博多っ子哀歌」「カモと海坊主」「木枯らしの卓」「風と女と背広」「冬の陽炎」「博多別れ打ち」の8つのエピソードが収録されています。


いきなりこう書くと身も蓋もないのですが、この作品、小島武夫原作というより、彼がほうぼうに書いていた昔のエピソードを上手く構成したものじゃないかと思います。その分、ケレン味が少なくて、アッサリした味わいの佳品に仕上がっているようです。
例えば「博多っ子哀歌」のエピソードを紹介しますと、

麻雀の負けが払えなくなり、間近に迫った山笠祭に着るハッピを質に入れて精算する
→もちろんそこで終わるはずもなく、リベンジマッチを挑むが、更に負けてしまう。
→気分を変えようと博多から汽車で2時間くらいかかる小倉まで出向くが、そこでも負け。
→結局実家に寄って兄の背広を借りて、それを代わりの質草にすることでハッピを取り返す
→「これは私小島武夫の若い日のこと 祇園山笠の夏がくる度に思い出すズッコケ裏話なのである」

といった感じです。ハッキリ言って冴えない、どうでもいい昔話ですが、正直で憎めない印象を受けます。他の話も同工異曲で、いけ好かない雀荘のマスターを送り込みのイカサマで型に嵌めるとか、恋人に時計を買うために奮闘していたら、その隙に友人が彼女を寝とってしまったとか、「そうですかぁ」としか感想が言えない話が続きます。唯一物語として盛り上がりそうなのは「勝負師遍路」ですが、麻雀物に典型的なバッドエンドに落ちて凡庸です。

しかし読み進めていくうちに、「小島武夫ってこういう人なんだな」と妙に納得させられる仕組みになっています。これは作画の司敬が、お得意の「青春フォーマット」に落としこんでいるのが要因でしょう。今でこそ倉科遼と名前を変えて水商売フォーマットを量産している司ですが、この時代の司の代名詞といえば「青春」でした。例えば上のエピソードに登場する質屋のおばあさんは「いい若い者が麻雀ばっか打ってからに…でも若い時うちこめるもんがあるのはいいよね…」とか「負けても負けてもコリないんだから…若いんだねエ」とか宣います。おばあさんそれは目が曇っているのでは…。どちらかといえばギスギスした暗いエピソードも、この甘い味付けによって立派な一品として成立しています。


まだ慣れてないのでどう書けばいいのか掴めません。
とりあえず四方田さんの『青春!!雀鬼颯爽』レビューを皆さん読むといいんじゃないでしょうか。