青春牌の譜跡 1巻 (1985) その2
- 「別冊漫サン 傑作麻雀劇画」昭和59年5月号〜60年2月号掲載(1巻収録分)
- 全2巻(2巻は未読)
※その2です。その1はこちらから。
その1ではキャラクターについて紹介しました。ここでは麻雀部分について簡単に触れてみます。
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読んですぐ分かりますが、「競技麻雀 VS バクチ麻雀」というテーマが柱です。原作の四方城五郎はこの時期「現代競技麻雀研究会を主宰し」*1ているそうなので、実際の出来事に基づいたエピソードもあるのでしょう。
1980年代はこのテーマが盛り上がったようで、先行作品としては かわぐちかいじの『プロ 雀界の光と影』(1981〜84、竹書房)、松山三津夫の『プロ雀士修行』(原作・伊東一、1979)があり、少し後には北野英明の『勝負星』(原作・梶川良、1985)、ほんまりうの『B』(恐らく馬場裕一が協力、1987〜89)が続きます。
(追記)すみません、北野英明の『勝負星』は『青春牌』より前、1982〜83でした。訂正します。
『プロ雀士修行』3巻。怖いです。
これらの作品の要諦は「プロとは何か?」という疑問です。つまり、
- 「バクチ麻雀で金を稼いでいるプロ」がいて、
- 「競技麻雀の普及に努力を重ねるプロ」がいる、
では一体どちらのプロを目指せばいいのか、どちらが本当のプロなのか、という迷いがアマには生じます。一方でバクチのプロと競技のプロは、イデオロギーとしても実際の存在としても相容れませんので、鋭く対立します。ここにドラマが生まれます。
バクチと競技の対立
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これはとても魅力的なテーマだったようで、イカサマを中心とした作劇の組み立てに影響を及ぼしたと考えられます。私の乏しい知識で見る限り、1980〜82年を境に麻雀マンガ作品におけるイカサマの比重はグンと低くなります。上に挙げた中で「イカサマも実力のうち」として扱っているのは『プロ雀士修行』のみで、後は話の彩り程度に扱われるか、全く登場しないかです。
『青春牌の譜跡』には全くイカサマが登場しません。ストイック度は100%です。例えば、野澤白龍の許に遣られた流哲男は雀牌に触れることが許されず、代わりに庭の掃除や牌磨きをさせられます。夜になると、『麻雀大辞典』はもちろん『孫子』『葉隠』などを読まされます。
野澤白龍は豪邸に住むプロ雀士協会北海道支部の重鎮で、古武道にも通じている人物として描かれます。この辺りは当時でもネタとして受け止められていたようですが、競技麻雀と武道のアナロジーは他作品にも登場します。
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1巻の最後は、旅打ちに出た主人公が童貞を捨て、文字通り?一皮剥けるシーンで幕を閉じます。大人の仲間入りをすることでバクチ場の雰囲気に飲まれないようになったというオチはありがちですが、無理はありません。
ビーンと言われましても…
1985〜90にかけて麻雀マンガは興隆期を迎えるのですが、この作品に見られるような定型表現の成熟がそれを支えた、と現時点では考えています。
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自分の考えがまとまってないうちに書くと失敗しますね…
とりあえず四方田さんの『雀剣示現流』レビューを見るといいんじゃないでしょうか。
- 雀剣示源流 - TOKYO巡礼歌: http://d.hatena.ne.jp/yomota258/20090310#1236696417
*1:カバー見返し