近代麻雀オリジナル 2006年9月号 その1

近代麻雀オリジナル2006-09

ぴゅー太郎氏の観戦記「勝ち組への麻雀の扉」が素晴らしかった。いつも通りの明晰な分析、「罪のないオカルト」「帳尻を合わせにいく本能」などの独自の用語には、思わずハタと膝を打った。
そして何よりも、彼の考え方の根っこの所にある、健全な上昇志向、麻雀というゲームの公正さに対する信頼は、ネットでも雑誌でも、同じように輝いていた。


ここで言う健全な上昇志向とは、麻雀を知らない人が麻雀を覚え、上達していく過程へのまなざしが、論の中に含まれている、という意味である。
ネット上の麻雀ファンが必ず読んでおかなければならないサイト、「雀のお宿」(管理人:百貫雀氏)の用語に「麻雀フレバー」というものがある。少し長いが引用してみる。

麻雀には「麻雀フレバー」がある。
初心者には何よりもまず先に、この麻雀フレバーを教える/伝える/習得させるべきだろう。
麻雀に限った話じゃない。料理には「クッキングフレバー」が、釣りには「フィッシングフレバー」が、東映Vシネマには「Vシネマフレバー」というものが確かにあって、世の中のおよそありとあらゆる非生産的な行為のすべてについて、それのエッセンスを享受するための作法、心得を初心者の内に手に入れることができた人間は、そうでない人間よりもより深い所で、その行為に没頭することができ、またその楽しみを多く味わうことができる。
言葉は違うけど、ジャズで「スイング感」と呼ばれたり、茶道で「わび」なんて呼ばれるものは、それぞれの世界での「フレバー」なんである。
んで、麻雀フレバーって、一体何なんだ。
アタキの考えるに、麻雀フレバーの最たるモノは「手牌の変化を楽しむ」ことにあるのだろうと思える。
一つの牌をツモって来るたびに微妙に変化する自分の手牌を味わうことこそ、麻雀というゲームの本質的な面白みなのだろうと思うんである。
役作りよりも点数計算よりも牌の名前なんかよりも、まず最初に教えるべきは、「手牌が変化することの面白さ」。


麻雀打ちの頁/雀のお宿[放言]33:初心者のための:
http://www.hakata21.com/suzume/1houg/33school.html
より引用

ぴゅー太郎氏が瀬戸熊プロの打ち筋を「事後的で柔軟な対応」と褒め、ぎこちないアマチュアに対して

「自分の描く妙手順よりも、実際にはそうならないケースの方が多いものだ。手広く構えておいて、ハプニングには事後的に対処すればいい」と麻雀感覚を変えて行かない限り、Yさんのような人はいくら牌効率を勉強しても実戦で生きません。


近代麻雀オリジナル」2006年9月号 54ページより引用

と説く時、私の頭の中にはこの「麻雀フレバー」という言葉が浮かんでいた。
もちろん、彼の論の中心は、麻雀のバランス感覚がどのように鍛えられるか、あるいはどのように人間の心理と食い違ってくるか、という所にあるので、私の感想は牽強付会のそしりを免れないかもしれない。
しかし、刻々と変化する状況をとらえ、それに対応する感覚を磨く、という方法の根底に「変化を楽しむ」気持ちがあれば素晴らしいし、事実としてそれは存在するのではなかろうか。私の経験上、麻雀にハマらない人は、思い通りに行かないことを嫌う人だ。
そして手牌の変化を楽しみ、ワクワクする気持ちが、残り枚数を数え、手牌の変化を予測し、いつしか高度な状況判断へと繋がっていく、という上達への道筋が見出せる。彼の文章が反響を呼んだ所以は、その辺りにあるのではないかと思う。



その意味で、ぴゅー太郎氏はコーチングの人だ。複雑で言葉に尽くしがたい麻雀の中から、普通は思いつかないような捉え方を見つけ出し、それを分かりやすい言葉で提示する。彼の論を読んだ人は、それぞれのレベルに応じて、何らかの「気づき」を得て、自分の麻雀感覚にフィードバックする。
他方、私の麻雀への関わり方は、多分に文学的であり、「麻雀マンガ研究」という実りの少ない分野にハマっていることに、密やかな喜びを持っている。また麻雀打ちの世界が、どれほど人間くさいか*1についてもある程度知っている。
そういう目から見ると、時に彼は散文的・理想的に過ぎ、また自論を得意げに吹聴する、鼻持ちならない性格に映る。要するに「私の美学に反する」のだ。
しかし、彼の文章を読むと、私はいつも何らかの感動を禁じえない。それはつまり、彼の方が麻雀の可能性を深く信じているということであり、私のリアルより勝っている、ということなのだろう。口惜しくもあり、また嬉しくもある。



それにしても、今の時代に活字で商売をするというのは厳しいだろうな、と思う。
ぴゅー太郎氏のサイトは、1年以上前から話題になっていた。彼の発言によれば、その数理的なアプローチは、麻雀ファンよりは、むしろ麻雀ファン以外のネットユーザーから支持を集めているようだ*2。むべなるかな、と思う。
数理的なアプローチがより効果的なのは、夾雑物の多いリアル麻雀ではなく、ネット麻雀の方である。自動的に牌譜が取れる、という強力なアドバンテージもある。
彼のサイトに行けば、魅力的な文章が無料で読める上、同じパソコンで実戦も出来るのに、わざわざあの雑誌を買う人がいたのだろうか。
とりとめもない雑感だし、読者が心配することでもないが、オリジナルを取り扱っているコンビニが減っているのは事実であり、2ちゃん麻雀板には、廃刊への不安を通り越して、廃刊の時期を予測するような雰囲気がある。さてどうなることやら。



近代麻雀オリジナルのマンガについて書くつもりが、コラムだけで終わってしまった。マンガについては、別のエントリーを立てて書くことにしたい。



                    • -

「勝ち組への麻雀の扉」はぴゅー太郎氏のコラム。連盟(日本プロ麻雀連盟)のAリーガー、瀬戸熊直樹プロと、アマ3人の対局をもとに、初中級者が勝ち組になるためのヒントを述べたもの。
ぴゅー太郎氏の文章は「実録麻雀エッセイ集」で読むことが出来る。全ての文章がお勧めだが、個人的には処女作「麻雀狂時代」が一押しである。
同人誌「麻雀の未来」には、「麻雀の樹」というコラムを寄せている。話題を呼んだ「キューブ」という考え方から一歩踏み出した彼の論考は必読。

*1:どれほど愚劣になりうるか

*2:ログが消えていて正確なところは分からないが、確か「歩ログ」にそう書いていた