エグくなければ権力じゃない!『メジャー すべてを麻雀に捧げた天才!!』(画・伊賀和洋+作・南波捲)

◆異色のプロ業界裏事情マンガ『メジャー』

古今東西、麻雀プロの世界を舞台にしたマンガは多数ある。プロとアマの違いを描いた『理想雀士ドトッパー』をはじめとする片山まさゆきの諸作品、実在の人物をモデルにした、かわぐちかいじの『はっぽうやぶれ』。ほんまりうの『B』を読んで、目を細めて河を見てみた人もいるし、『幻に賭けろ』で展開される、原作者・どい〜ん(土井泰昭)の素晴らしく緻密な闘牌を読んでプロになろうと思った人もいるだろう。
今日紹介する『メジャー』も、「一応」その系統に属する作品である。

主人公・若園貫は麻雀で生きたい、と一流大学に合格確実と言われながら高校を中退し、麻雀プロの世界に飛び込んでいく。高校教師だった高浜は、彼の理想が麻雀界の現実にぶち当たって折れてしまわぬよう、こちらも職を捨ててプロデュースしようと決意する。
設定だけ見れば『スプリンター』(小山ゆう)に似ており、確かに基本の筋立ては少年マンガのスポーツ物に良くある成長物語である。

主人公・若園貫
主人公の若園。天才であるが、何よりも研究と努力がその裏にあることが繰り返し描かれる。


『メジャー』1巻(以下引用同じ) pp.26

しかし、この作品が連載されたのは「少年サンデー」ではなく、11年ほど前の「別冊近代麻雀」である。だからという訳ではなかろうが、そこに描かれる麻雀プロの実情はエグい。
早くプロ入りして強い相手と打ちたい、と言う若園に、かつてプロを目指し断念した経験がある高浜はこういって聞かせる。「日本麻雀協会でAリーグに上がるには、最低で4年かかる。しかも…

派閥?
…その間にどこの派閥に入るかで『出世』が決まってしまう」「イヤな話だがな あそこは大ボスの奥・宮地・篠田の3派の政争の場だ」「〜その3人の誰かの子分になってないと〜人物評定とかいう わけのわからん取り決めで自然にはじき出されてしまうんだ」


pp.72

夢のない話である。続いて協会で冷遇され、新団体を作った小田原プロの「自由麻雀研究会」についても…

仲良しグループ
「あれはただの仲良しグループだ」「本部になっている牌王閣って店のオーナーがバックアップをやめれば明日にも空中分解だよ」


pp.73

さらに「麻雀の科学」という団体は…

確率万歳感性よ死ね
「会長の土井垣雀吾のモットーは『確率万歳 感性よ死ね』だぞ……お前本当にあんな屁理屈の麻雀が打ちたいのか?」


pp.74

とクソミソである。いくらマンガとは言え、そこはかとなくモデルがいそうな気がしないでもない。ここまで描いていいのかしら、と心配していたが、これはほんの序の口。後にはもっと生々しい事情が描かれる。


最初に「日本麻雀協会」の篠田の所に売り込みに行った若園と高浜。ここで篠田の派閥の人気スタープロ・広尾と対戦した若園は、老獪な広尾の攪乱作戦に翻弄され敗北するが、その実力に篠田は瞠目する。「広尾みたいなウワベだけの作られたスターじゃない。こいつは本物だ!!」そして広尾と共に、若園を自分の勢力に取り込もうとする。

若園と篠田・広尾
後ろ左が篠田、右が広尾。背景の邪悪なオーラに注目。これ本当に麻雀マンガかよ!


pp.204

篠田の経営する飲み屋で接待された若園は、用意した部屋に泊まっていけ、と鍵を渡される。(この接待の時の篠田の熱弁も読みごたえがある)

じっくり資料を調べて寝ろよ
「上に私の資料部屋があるから泊っていきなさい」「麻雀の資料は揃ってる なにを見てもいい」「じっくり資料を調べて寝ろよ」


pp.222

そして若園が部屋に入ると、そう、お約束である。

一緒にお勉強
「私も一緒にお勉強したいわ」
pp.224

私も勉強したい!!
連載当時、うぶな大学生だった私は、「やっぱ大人の世界って黒いなー」と感心するやら呆れるやらだったが、読み返してみると、こんなのありえない。笑うしかない。
そしてまた、私はあの頃よりはるかに多くの麻雀マンガ作品を読んだが、後にも先にも、この作品ほど麻雀プロ業界をドロドロした、権力うずまく世界として描いたものは他にない。

◆「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」…全共闘世代の心意気

『メジャー』の原作者・南波捲(なんば・けん)は、『ナグネリアン 麻雀黄金期から来た男』(画・畠山耕太郎)という作品も手がけている。
『ナグネリアン』は、成田闘争の際に誤って地下の伏流水の中に落ちた全共闘の闘士が、20年間仮死状態の後よみがえって、現在の麻雀界に騒動を起こす、という物語である。豪放で型にとらわれない主人公は、麻雀界を独裁支配しようとするメディア王の野望を打ち砕き、また眠りにつく。
この2作品に共通しているのは、権力への不信と、権力が躍起になって抑圧・懐柔しようと試みる、個人のパワーに対する信頼である。私はここに、全共闘世代らしい心意気を見る。実際の南波は、もう少し後の世代だったようだが。
(ちなみに『メジャー』でも、高浜を利用して儲けを企む編集ゴロが登場する。メディアに対する不信も、この世代の共通認識なのかもしれない。)
もちろん、「悪の組織 VS 純粋な心を持った若者」という構図自体は、非常にありふれている。少年向けアニメの王道でもある。
しかし上で見てきたような、権力の側を醜くねじけた、しかし一筋縄ではいかない人物の集合体として描くやり方は、一歩踏み越えた何かを感じる。「権力は腐敗する」というテーゼを、敵対する側についても、共闘する側についても実感していないと描けないような、そんな気がするのである。
権力の側が腐敗していればいるほど、対照的に主人公側の信念は際立つ。若園は最後に、小田原の下にいる花巻という男と最終決戦を闘うが、花巻もまた、強い信念を持っている人間として描かれる。

牌に映った花巻
花巻の顔が白牌の表に映し出される。いくらなんでも輝きすぎだろ、と思わんでもない。「世の中で私がイチバン好きなものですよ『白の心』私の座右の銘です わかりますか」…彼もまた、黒には染まらない心の持ち主である。


pp.220

残念ながら単行本は1巻までしか刊行されておらず、ラストまで読むことは難しいが、この黒と白の対比は、麻雀マンガ界に異彩を放っている。古書店で目にする機会があれば、ぜひ手にとっていただきたい1冊である。


余談だが、作画の伊賀和洋が原作者の雁屋哲と組んだ『首領<ドン>』という作品がある(当時は伊賀一洋)。上下巻と短いが、ここでは初期の雁屋のテーマである「父と子、兄と弟の相剋」というテーマが非常に色濃く焼き付けられている。伊賀の濃い絵柄がテーマを際立たせているだけでなく、恐らく彼が大幅な脚色を行っていないことの傍証にもなるだろう。