近代麻雀プレビュー 1/1号

久しぶりの更新なのでババーンと大きく出たいのですが、大晦日から飲み続けで頭が回らない上に、いのけんさんがこんな凄い記事を書いてます。師走の翁は素敵な作家さんで、「飛龍地斬四暗刻」とか「二翻巻」とか麻雀ネタも事欠かない人ですが、やっぱり旬の人の情報アンテナ感度は高い。さすが麻雀ブログ大賞準グランプリ。っていうかグランプリの奴、ブログじゃないですよね。全く納得いかない。


んで、正月なので近代麻雀レビューでも書こうかと思ったのですが、まだ買ってません。ついでに思い返すと、2010年は一度もキンマを買いませんでしたし、ほとんど読んだ記憶がありません。これじゃやる前から勝負(来年の麻雀ブログ大賞)は見えてますが、正月からやると決めたのでやります。とりあえず、多分こんな感じの内容だと憶測でものを言います。

ハンチク二人が合体すると強くなる話ではないでしょうか。恐山モロと恐山ヒッカケ、合体すると阿佐田哲也童子に。はーるのーこもれびのーなかでー

何かこう、「満潮」と「ツモクラテス」、2つの言葉の懸隔のエクリチュールが哲学してるんじゃないかと思います。麻雀打ちに親和性が高いと思われる哲学者はルソー(いっぱい子供を捨てたから)だと思いますが、そろそろ出てきてるはずです。

苦手なんですよね、政治のパロディって。政治って怖いですよ。迂闊に近寄らないほうが。

カジノ・ガーディアンのスピンオフですかね。招き猫は必須。しかしなんでもアリだな、近代麻雀。コンビニ廉価版のサブタイトルは「麻雀失楽園」で。

終わりらしいですね。何がしたかったのでしょうか。

  • 「バイヅケ!!〜原稿料、勝ったら2倍、負けたら0!〜」葛西りいち

題名どおりの話なんでしょう。

  • 「アカギ〜闇に降り立った天才〜」福本伸行

今号あたりで「灰皿にテキーラ」ネタが織り交ぜられていると思います。

四方田さんが激賞していたので本は先に買ってみました。

賭けマージャンはいくらから捕まるのか?―賭博罪から見えてくる法の考え方と問題点

賭けマージャンはいくらから捕まるのか?―賭博罪から見えてくる法の考え方と問題点

論点がよくまとめられていて、良書だと思います。え、先号の話ですか?
全然関係ない話ですが、むかし猿岩石の旅行が話題になったころ、T大生協では沢木耕太郎の『深夜特急』がバカ売れしていたそうです。流行り物に斜めから乗っかるT大気質をよく表していますね。

犬が麻雀打つ時代ですから、蝉が打つのもアリです。元ネタをWikipediaで探ったところジャンルはミステリーらしいので、建武新政の成立にスパイとして暗躍した吉田兼好が現代に麻雀打ちとして蘇ったとか、そんな感じではないでしょうか。

  • 「角刈りすずめ」KICHIJO"

ナカタニDと一條裕子の合作ペンネームらしいです。

面白いらしいです。迂闊なことは何も言えないコンビです。

何度でも繰り返して主張しますが、天獅子悦也と杉作J太郎は超似てます。作家最強戦のグラビアがあったら是非チェックしてみてください。




正月だからこれくらいで許してもらえるだろうと思ったら、何かゴイスーなブログがあるじゃないですか。ここでケンさんを出すなんて、超リスペクトしたい。個人的に好きなあぶれもんの脇役は、サイコロが斜めに重なってたために姿を見なくなった中盆のおっさんです。あの目が。

その牌は通しジャーナル

「お屠蘇」に絡めて麻雀ギャグを言おうと思ったらこうなりました。多分一年間こうゆう感じです。ちなみに「通す」と「投資ジャーナル」をかけたものです。似たような言葉に「セーフ自民党」というのもありますが、こちらは全くの死語と成り果てました。

実戦株入門

坂本タクマの実戦株入門
坂本タクマ先生の新しい単行本『坂本タクマの実戦株入門』が何だか面白いです。(画像参照)

↑詳しい買い方なども載っています。
本当は株入門の本らしいのですが、途中で先生がプログラムを組み始めたり(何故か言語はRUBY)、結婚したりと謎の展開です。マンガ家、しかも「近代麻雀」デビューという業を負った先生の生き様が心に沁みます。
「ヤツらは何時もウェットかつワイルドだった!!」でおなじみ、田丸浩史先生の『最近のヒロシ。』の100分の1のファンしかいなさそうですが、izumick12歳は坂本タクマ先生を応援しています。


そうそう、それで思い出したのですが、私は『ぶんぶんレジデンス』単行本未収録分の復刊リクエストを「復刊.COM」に提案していたのでした。

100票あつまれば交渉が開始されますが、今の所28票です。しかも折悪しく、復刊.COMがメンテナンス中ですが、ぜひぜひ皆さま、投票をお願いします。
【追記】復刊ドットコムの投票ページ、変更になっていました。現在はこちらです。↓

そして投票は32票でした。

同人誌進捗状況

関係ないけどテラバイト。ビアン!

同人誌「麻雀の未来」の次号に「麻雀マンガ30年史」の後編を載せるべく、平成以降の麻雀マンガ作品を読み進めたり、カードを作成したりしています。どうってことない作業です。「麻雀の扉」のぴゅー太郎さんくらい、クンフーが満ち満ちていれば素晴らしいのですが、まだまだそこまで達しません。
それと並行して、いくつかの企画を考えています。


1つは、「新鋭麻雀マンガ原作者ミニ特集」。21世紀に入ってからのニューフェイス原作者を取り上げて、何かできればと思ってます。具体的には、

◆朽葉狂介(河本茂樹)
『覇王』(画・木村シュウジ)『ピカレスク』(画・柳田東一郎)『激突 タッキーVSヒサト』(画・戸田尚伸)など。現在は「別冊漫画ゴラク」で「金と運」(画・原恵一郎)を連載中。
◆浜田正則(花村奇跡)
『騙し屋』『遊びをせんとや』(ともに画・旭凛太郎)『ミスターブラフマン』(画・張慶二郎)『ギャル雀ロード』(画・おおつぼマキ)など。現在は「漫画パチンコ777」で、ミスターブラフマンがパチンコしてる「Mr.ムッツリーマン」を連載中。
◆嵐田武(阿波天奈)
『剣師 卓上の渡世人』(画・橋本俊二)『ラストバイニン』シリーズ(画・玉置一平)『堕楽の城』(画・森遊作)など。

の3人。この3人、全て知ってるという人は立派な近代麻雀ファンです。


もう1つは、超大物麻雀マンガ原作者へのインタビュー。先方は気軽に承諾してくださったのですが、こちらが怖気づいていてまだ調整がつきません。とにかく熱い方なので、圧倒されないようにしないと…
そんな感じです。

エグくなければ権力じゃない!『メジャー すべてを麻雀に捧げた天才!!』(画・伊賀和洋+作・南波捲)

◆異色のプロ業界裏事情マンガ『メジャー』

古今東西、麻雀プロの世界を舞台にしたマンガは多数ある。プロとアマの違いを描いた『理想雀士ドトッパー』をはじめとする片山まさゆきの諸作品、実在の人物をモデルにした、かわぐちかいじの『はっぽうやぶれ』。ほんまりうの『B』を読んで、目を細めて河を見てみた人もいるし、『幻に賭けろ』で展開される、原作者・どい〜ん(土井泰昭)の素晴らしく緻密な闘牌を読んでプロになろうと思った人もいるだろう。
今日紹介する『メジャー』も、「一応」その系統に属する作品である。

主人公・若園貫は麻雀で生きたい、と一流大学に合格確実と言われながら高校を中退し、麻雀プロの世界に飛び込んでいく。高校教師だった高浜は、彼の理想が麻雀界の現実にぶち当たって折れてしまわぬよう、こちらも職を捨ててプロデュースしようと決意する。
設定だけ見れば『スプリンター』(小山ゆう)に似ており、確かに基本の筋立ては少年マンガのスポーツ物に良くある成長物語である。

主人公・若園貫
主人公の若園。天才であるが、何よりも研究と努力がその裏にあることが繰り返し描かれる。


『メジャー』1巻(以下引用同じ) pp.26

しかし、この作品が連載されたのは「少年サンデー」ではなく、11年ほど前の「別冊近代麻雀」である。だからという訳ではなかろうが、そこに描かれる麻雀プロの実情はエグい。
早くプロ入りして強い相手と打ちたい、と言う若園に、かつてプロを目指し断念した経験がある高浜はこういって聞かせる。「日本麻雀協会でAリーグに上がるには、最低で4年かかる。しかも…

派閥?
…その間にどこの派閥に入るかで『出世』が決まってしまう」「イヤな話だがな あそこは大ボスの奥・宮地・篠田の3派の政争の場だ」「〜その3人の誰かの子分になってないと〜人物評定とかいう わけのわからん取り決めで自然にはじき出されてしまうんだ」


pp.72

夢のない話である。続いて協会で冷遇され、新団体を作った小田原プロの「自由麻雀研究会」についても…

仲良しグループ
「あれはただの仲良しグループだ」「本部になっている牌王閣って店のオーナーがバックアップをやめれば明日にも空中分解だよ」


pp.73

さらに「麻雀の科学」という団体は…

確率万歳感性よ死ね
「会長の土井垣雀吾のモットーは『確率万歳 感性よ死ね』だぞ……お前本当にあんな屁理屈の麻雀が打ちたいのか?」


pp.74

とクソミソである。いくらマンガとは言え、そこはかとなくモデルがいそうな気がしないでもない。ここまで描いていいのかしら、と心配していたが、これはほんの序の口。後にはもっと生々しい事情が描かれる。


最初に「日本麻雀協会」の篠田の所に売り込みに行った若園と高浜。ここで篠田の派閥の人気スタープロ・広尾と対戦した若園は、老獪な広尾の攪乱作戦に翻弄され敗北するが、その実力に篠田は瞠目する。「広尾みたいなウワベだけの作られたスターじゃない。こいつは本物だ!!」そして広尾と共に、若園を自分の勢力に取り込もうとする。

若園と篠田・広尾
後ろ左が篠田、右が広尾。背景の邪悪なオーラに注目。これ本当に麻雀マンガかよ!


pp.204

篠田の経営する飲み屋で接待された若園は、用意した部屋に泊まっていけ、と鍵を渡される。(この接待の時の篠田の熱弁も読みごたえがある)

じっくり資料を調べて寝ろよ
「上に私の資料部屋があるから泊っていきなさい」「麻雀の資料は揃ってる なにを見てもいい」「じっくり資料を調べて寝ろよ」


pp.222

そして若園が部屋に入ると、そう、お約束である。

一緒にお勉強
「私も一緒にお勉強したいわ」
pp.224

私も勉強したい!!
連載当時、うぶな大学生だった私は、「やっぱ大人の世界って黒いなー」と感心するやら呆れるやらだったが、読み返してみると、こんなのありえない。笑うしかない。
そしてまた、私はあの頃よりはるかに多くの麻雀マンガ作品を読んだが、後にも先にも、この作品ほど麻雀プロ業界をドロドロした、権力うずまく世界として描いたものは他にない。

◆「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」…全共闘世代の心意気

『メジャー』の原作者・南波捲(なんば・けん)は、『ナグネリアン 麻雀黄金期から来た男』(画・畠山耕太郎)という作品も手がけている。
『ナグネリアン』は、成田闘争の際に誤って地下の伏流水の中に落ちた全共闘の闘士が、20年間仮死状態の後よみがえって、現在の麻雀界に騒動を起こす、という物語である。豪放で型にとらわれない主人公は、麻雀界を独裁支配しようとするメディア王の野望を打ち砕き、また眠りにつく。
この2作品に共通しているのは、権力への不信と、権力が躍起になって抑圧・懐柔しようと試みる、個人のパワーに対する信頼である。私はここに、全共闘世代らしい心意気を見る。実際の南波は、もう少し後の世代だったようだが。
(ちなみに『メジャー』でも、高浜を利用して儲けを企む編集ゴロが登場する。メディアに対する不信も、この世代の共通認識なのかもしれない。)
もちろん、「悪の組織 VS 純粋な心を持った若者」という構図自体は、非常にありふれている。少年向けアニメの王道でもある。
しかし上で見てきたような、権力の側を醜くねじけた、しかし一筋縄ではいかない人物の集合体として描くやり方は、一歩踏み越えた何かを感じる。「権力は腐敗する」というテーゼを、敵対する側についても、共闘する側についても実感していないと描けないような、そんな気がするのである。
権力の側が腐敗していればいるほど、対照的に主人公側の信念は際立つ。若園は最後に、小田原の下にいる花巻という男と最終決戦を闘うが、花巻もまた、強い信念を持っている人間として描かれる。

牌に映った花巻
花巻の顔が白牌の表に映し出される。いくらなんでも輝きすぎだろ、と思わんでもない。「世の中で私がイチバン好きなものですよ『白の心』私の座右の銘です わかりますか」…彼もまた、黒には染まらない心の持ち主である。


pp.220

残念ながら単行本は1巻までしか刊行されておらず、ラストまで読むことは難しいが、この黒と白の対比は、麻雀マンガ界に異彩を放っている。古書店で目にする機会があれば、ぜひ手にとっていただきたい1冊である。


余談だが、作画の伊賀和洋が原作者の雁屋哲と組んだ『首領<ドン>』という作品がある(当時は伊賀一洋)。上下巻と短いが、ここでは初期の雁屋のテーマである「父と子、兄と弟の相剋」というテーマが非常に色濃く焼き付けられている。伊賀の濃い絵柄がテーマを際立たせているだけでなく、恐らく彼が大幅な脚色を行っていないことの傍証にもなるだろう。

連盟からスピンアウトして機構という団体ができるそうで

画像は全然関係ありません。

金を出さない私のような町民風情が、隣の市の公民館の会計に口を出しても仕方がないですが、金の入り方と配分方法とにルールを課さない限り同じでしょ。団体を超えた連帯ほど難しいものはない。
それとは全然かけ離れた、妄想に近い思いなのですが、しかし、新しい団体に拠った人たちが、言葉を大事にしてそうな面があって、期待してたりもするのです。

(前略)
お尻にさわる
いい言葉だ
日本が残すことのできる言葉は
これくらい
しか
ないだろう
というところに来た
それは言葉がすべてあまさず
そこにあるもの見えるものだけにくっつく
よろこびを知りそこに憩ってしまったからだ
このあまりの静けさ、掩蔽感は
だが
この世の
誰の顔にも似ていない
(後略)

「渡世」荒川洋治

麻雀の言葉は、というか麻雀はまだ、全然そんなところに来ていない気がしますが、最初にそこに在る人は、さて誰なのかしら。
阿佐田哲也が、どの本だったかは覚えてないのですが、古川凱章が酔っ払って珍しく女性のいる店に行った時、女のお尻をさわって、そのまま寝ちゃった、というエピソードを紹介しています。上の詩を読むと、いつも思い出して可笑しくなります。


という訳で(どういう訳かは分かりませんが)、今回は麻雀プロ業界を舞台にしたマンガをご紹介します。

大状況と小状況、についての考察・その1(BSMMYアカギ雑感)

大状況と小状況。戦略と戦術と言ってもいいが、麻雀というゲームに勝つことと、それに賭けられたモノを必ず受け取るための駆け引き、あるいは人生、に勝つこととの違いである。
賭けというのは本来、神様の神託を求める占いの側面もあり*1、紛争解決の手段としてギャンブルが使われた場合には、当事者を超えた大きな権力による保障が必要になる、とも考えられていた。


さて、初期麻雀劇画の時代から一歩踏み出した80年代の麻雀マンガ、特に竹書房を中心に掲載された作品群では、この2つの区別は大きな問題にならなかった。それらに通底する心性を憶測すると、

  1. まず一方で、麻雀で勝つ人間は神様に祝福されているのだから、それは人生の勝利とイコールで結ばれているという考え方、あるいは麻雀に負けたのに約定を違えることは死よりも罪深い、という素朴な信仰が前提にある。
  2. 他方、その裏返しとして、神様がどんな人間を祝福するのかといえば、自分に素直に生きていて、不要な力を求めず、不当な敵には立ち向かう、というタイプの人間であるからして、そういう生き方をしていればよい、という考え方を元にするものもある。

前者は正統派・任侠系の勝負マンガに、後者はコメディ・人情物に多いが、両者は厳密には区別できない。善徳を積み、恐れずに勝負に臨めば、ラッキーが舞い降りてきて、勝負に勝って悪は滅びてめでたしめでたし、という話作りが背骨としてある。
典型的なのは『あぶれもん』('86〜'88、画・嶺岸信明+作・来賀友志)に登場する帝王の死に方である。彼は勝負に負けて権力*2を得られなかったのが納得できず、勝者の啓一を狙撃しようとするが、
啓一が「たまたま」屈んだために失敗し、
「それを見て怒り狂った群集」に始末される。
完全な「天罰思想」である。勝った奴は神様に愛されてるから人生の勝者であり、負けた奴はもう見放されているから何をやっても無駄、ということだ。


しかしバブルが到来すると、神様に愛されようと愛されまいと、最終的に金を得ればいいんだろ、という風潮が盛んになる。
これに対する麻雀マンガ界のアンチテーゼが、たとえば『50円の青春 アーバンキッズ麻雀派』('91、画・地引かずや+作・吉田幸彦)である。
高レートで稼ぐのが凄い、偉いと思ってるヤクザたちや、世間に流されて一流企業に就職する同級生たちを尻目に、自分の生き方を貫く主人公の学生2人が、50円という安いレートで麻雀を真剣に追求していく物語だ。
この作品については、知己のマンセンゴさんと新田五郎さんが全く対照的なレビューを書いている。どちらも、とても興味深い。

ただ、私がここで押さえておきたいのは、90年になると、麻雀の勝ち負けと人生の勝ち負けとが、作品内でそう単純にリンクしなくなってきた、という点である。『50円の青春』の主人公たちは、現在から見ればややエキセントリックに映る。それは即ち、彼らの敵側に代表される考え方が強まっていったことの証左だろう。
しかし詳細は省くが、ここではまだ、作品全体としては勧善懲悪の域を出ず、主人公たちの信条は勝利を約束されているのであった。




さて、やっと福本伸行の登場である。彼はこの大小2つの区別について、あるいは時代の変化について非常に自覚的だった。
『天』の2巻で、代打ちとして登場したアカギはこんな趣旨のセリフを吐いている。

「麻雀みたいな らちのあかないものに 大金を注ぎ込んで破滅する奴らが多いんだよ」

福本の関心は、麻雀の勝負よりも、麻雀のような不安定なゲームにのめりこんでしまう人間心理の方に向いている。アカギにとって勝負とは、対戦相手の心理を読み、その論理を超越した戦術で勝つことで、相手が心理的に屈するのを見ることである。そしてアカギは、終わった後の賭け金の精算には全く興味を示さない。ここにおいて、

  • 小状況(麻雀・アカギ個人の勝利)
  • 大状況(金銭・アカギ陣営の勝利)

は完全に区別されている。


この区別が更にはっきりしたのが、『銀と金』の「誠京麻雀編」である。詳しく書くとネタバレになってしまうので控えるが、

  • 麻雀(小状況)はある条件(大状況)を満たすための手段に過ぎない。他の競技と交換可能である。
  • 同じ陣営にいながら、麻雀のプレイヤー(小状況)とスポンサー(大状況)との利害は微妙に噛み合っていない。
  • (核心なので言えないが、この観点から読んでみていただきたい。)

という3点が特徴として挙げられる。
このような区別が明確になったのは、やはりバブルの到来・崩壊が関係していると私は考える。本質はどうであれ、属人的な倫理や道徳の力が、組織的で非人間的な金の力に屈服した、と表面上は見えた時代である。
誠京麻雀編のラスボス・蔵前は金によって人の心を支配しようとし、人間の「飼育」を楽しむ怪物であり、一個人の力で打倒することは不可能な存在として描かれる。では、この状況で、彼と戦って勝つとは、一体どういうことなのか?。麻雀に勝てば祝福され、蔵前が破滅するといったシナリオは現実性を持たない。
福本はこのテーマを積極的に引き受け、見事な一つの解答を呈示した。けだし福本麻雀の頂点と言われる所以である。



                    • -

ちっとも『アカギ』本編の話に行かなかったが、これはその現在の停滞を見るために必要な作業だった。1991年に始まり、15年たった今も完結しない作品の中には、作者の思想の変遷や萌芽が含まれているし、また社会状況も随分と変化した。それらを注意深く見ていきたい。
(この稿続く(多分))